観国乃光

観光についての議論では

まちづくり団体等ではイベントや活動…

行政等ではインフラやシステムの…

そんな手法ありきの話がされがちですよね。

イベントや活動ありきでは、活発に動き、物事を成し終えることで得られる、いわゆる自己満足で終える危険性があります。また、インフラやシステムでの制度や設備の開発では、利権で潤い、権力を行使し誇示する事で得られる、私利私欲や自己満足に終える危険性がありますよね。

愚痴を言いたいわけじゃなく、ここで言いたい事は、地域(まち)を思う気持ちは理解できるけれど

その根源となる心棒や大木を成す幹である「目的」を置き忘れて手法ありきの話がなされているという事です。

観光について考えてみます。

観光をググッるとその語源は中国の儒教の古典「昜経」にある「観国之光」(国の光を観る)(地域のすぐれたものを観る)から生まれたと言われているように、一般的に観光とは他の文化や歴史、風景や風物などを見物することですが、これによると「光を観る」と記されています。

では、その光とはなんでしょうか?

上記で述べたイベントや活動、インフラやシステムの全てが悪いとは思っていませんが

物事を成す事で終わる活動って他の国や地域の目線から見て「光」となっているでしょうか?

また、設備や制度が十分に整ってなくても、そこにある「光輝く」何かを求め多くの観光客で賑わっている地域もたくさんありますよね。

つまり、ここで考えてみたい観光とは、

国や地域の歴史文化などの物見遊山的な、いわゆる観光ではなく

そこで誰が何をしているのか

どんな思いが込められた何があるのか

それらに対する志や想いに心魅かれるもの

或いは、自分はそこで何を経験し何を感じ何をもって帰れるのか

そんな知的好奇心を充足される産業的なもの

だから観光って「そこにある光輝く」ものであり

それは、その地域で暮らす「光輝く人々」の志、想い、願いである「心」を指すのではないでしょうか。

もちろん、その地域で暮らす光輝く人々にとって重要なことは団体や行政など

誰かが何かをしてくれるのかではなく

今こうだから、理想とする未来に向けて

自分たちはいま何をしなければいけないのか

自分たちには何ができるのか

それらを真剣に考え感じ行動する事ではないでしょか。

まずは一人ひとりの心がけから見直していきましょう。

市民意識の変革の運動こそが、ひとづくり、まちづくり

そして観光へと昇華していくはずだから…

そこから始まるローカルパワー「地域力の創造」へ向けて。

地域に繋がっている価値、伝統をもう一度見つめてみよう

地域の課題に対しての解決策をコミュニティの力を結集し取り組んでいこう

皆から笑みが出るようなデザインを大きな大きな幹に集め描いてみよう

その結果が「観国之光」になるんじゃないかな。